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FRSレポート③汚染の流れ こうして汚染は広がった! 2011年3月12日

2019年08月23日|REPORT

2011年3月12日、東日本大震災の翌日に発生した、福島第一原子力発電所の爆発事故。
これにより原発内の放射性物質が拡散してしまったことは、周知の事実かと思います。
 
事故から8年以上経った現在でも、各地で放射能汚染の爪痕はまだまだ癒えませんが、
果たしてこの汚染はいったいどのようにして広がっていったのでしょうか。
 
爆発した後、目に見えない大きさの放射性物質を含むガスや粉じんは
上空で大きな空気の塊(プルーム)になり、流れていきました。
大量の煙が風に乗って流れていくイメージです。
 

 
事故直後の各地の放射線量のモニタリング結果をもとに、
アメリカの大気海洋研究所がネット上で公開している気象解析システム
「NOAA HYSPLIT MODEL」を用いて、
その当時原発付近の空気がどのように流れ、広がっていったのかを解析してみました。
 

時間表示はUTC世界標準時です。日本時間は+9時間
 
グラフ上の曲線は、1時間ごとの福島第一原子力発電所からの大気の流れです。
下の図は大気の流れの高さを表し、
★はそれぞれの大気の曲線のスタート時間を表しています。
Meters AGLは、直下の地表面からの高さ(m)を示しています。
 
3月12日に1号機の大気ベント(放出)操作、続く水素爆発により
最初に放射能が環境に放出されました。
その時間帯の大気の流れが図に示されています。
海岸線に沿うように海上を北東方向に流れているのが分かるかと思います。
 
水素爆発があった時のプルームは宮城県の女川原子力発電所の近く、
高さ500m上空を通過しています。
その時、発電所に設置されていたモニタリングポスト6台すべてが、
2時間だけ通常の4倍以上の値を示しました。
その後、拡散しながら、アラスカ方面に流れたものと解析されました。
 
つまり、放射性物質を含んだプルームは海上を上昇しながら流れていきましたので、
地上には大きな影響を及ぼすことはありませんでした。
 
もし当時の風向きが内陸側に向いていたとしたら、
より広範囲に放射能汚染が広がっていたかもしれません。
 
このように、今回の放射性物質の拡散は
風向きによって左右されたということが分かりました。
そういった意味では、日本は風向きに救われたと言えるかもしれません。
 
次の記事では、翌日以降の放射能拡散の経過を見てみましょう。

 

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①あなたの身近な放射線。放射線量ってなに?
②あなたの身近な放射線。
③汚染の流れ こうして汚染は広がった! 2011年3月12日
④汚染の流れ こうして汚染は広がった! 2011年3月13〜14日
⑤汚染の流れ こうして汚染は広がった! 2011年3月15日
⑥汚染はこの後どうなるの?
⑦〇〇が守った!なぜ福島の農作物から、汚染が出ないのか?
⑧汚染の出る可能性がある注意したい食品について
⑨知っておきたい放射線のリスク 多量に浴びた時
⑩知っておきたい放射線のリスク 低線量の時の影響
⑪知っていますか 内部被ばくと外部被ばく
⑫放射線プルームが流れてきたら
⑬安全と言われても、安心はできないワケ
⑭リスクのトレードオフ
⑮日本酒の放射線防護効果

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